4年前、私の心もどこか崩れた


4年前の今日。
私は地下鉄に乗っていました。
顧客のところへ向かっていました。

駅へ入る手前で列車は停止。
大きく揺れました。

一旦おさまったところで、
列車は動き出し駅へ。

停車中、さらに激しい揺れがありました。


私は生き埋めを覚悟しました。
行方不明になったら母が困るだろう。
私を探し回る母の姿が浮かびました。

そうならぬよう、自分の居場所だけは
残す必要があるなと思い、普段まったく
使わないツイッターに地下鉄の××駅の
社内にいるとだけ残しました。

メールはこういう場合送れない可能性もあり、
受け取る側も災害に巻き込まれていたら
そこで伝達が途絶えると考えました。

それよりもサーバー上にすぐアップロードでき、
不特定多数に公開され、誰かが気づいてくれる
可能性の高いツイッターをとっさに選びました。

これなら人づてにやがて私の居場所が
母に伝わるでしょう。
私はどこか達観した考えを持っているので、
有事の際にも意外と冷静です。

むしろ普段のほうが落ち着きがありません。


その後、地下鉄の駅を追い出され、
どうしたらよいのかわかりませんでしたが、
ひとまず近くのJRの駅へ向かいました。

JRは動いているかもしれない、
また大きな駅なので何かあるかもしれない、
そう思ったのでした。

JRの駅も改札は開きっぱなし、
あふれた人でごったがえしていました。

普段は運行情報や広告が流れている
モニターにはニュース映像。

水が畑も道路も家も次々と飲み込んでいました。

私はしばらく事態が飲み込めず、
ただぼんやりとそれを眺めていました。

やがて事の重大さに気づきましたが、
誰かに連絡をとろうにも携帯はもはや
使い物になりませんでした。

急に世界から一人取り残された気分でした。


ただ立っていてもしかたがないので、
家へ向かって歩き始めました。

途中、通り道近くの駅をいくつか覗きましたが、
電車が動く気配はありませんでした。

道路はひどく渋滞しており、バスやタクシーも
乗れる状態ではありませんでした。

みな自転車を買い求めていました。

人間、いや私はなんて無力なのか。
そう思いながらひたすらに歩き、
5時間ほどで家にたどり着きました。


明けて月曜日。
ぎゅうぎゅう詰めの電車で会社に出勤しました。

私はまじめで従順な社員でした。


半分以上の社員は来ませんでした。
来れなかったのかもしれません。

普段「会社のために・・・」とか
「なにがあっても会社を・・・」などと
言っていた人はなんだったのか、
失礼ながらそう思いました。

こういう時は来なくてよいのか。
こういう時だからこそ来るんじゃないのか。

普段はあれほど電話がうるさいのに、
今日はほとんど鳴りません。
他の会社も同じ状態なのか。

こんな大変なことが起こっているのに、
この会社ってもしや必要とされていないのか。

未熟な私はそんなことを考えてしまいました。

いや、必要とされていないのは私か。
なぜ今ここにいるんだろう。
会社ってなんだ。


思えばこのあたりから私の心の中の
ジェンガが始まり、一本一本抜かれては
バランスが崩れていったのかもしれません。


近所から水とパンが消えました。
自販機の水も全て売り切れ。
会社ではウォーターサーバーの水を
誰が持ち帰るかという話。

協力とは何か。
助け合いとは何か。
援助とは何か。
平等とは何か。
欲とは何か。
働くとは何か。
会社とは何か。
生きるとは何か。

自分は・・・何か。


考えるたびに一本一本、ジェンガが下から抜かれ、
上に積まれてはバランスを崩していきました。
正解などないのですから、抜いては積んでの繰り返しです。


その後、復興はどんどん進みました。
人々は強く前へ進んでいます。

時が経つにつれ、なぜか私も
「もう一度0からやれることがあるんじゃないか」
そんな気がしてきました。

いっそのこと自分も一度全部崩して組み立て直す。
それができるんじゃないか。。。



母なる大地は時に我々に厳しい試練を与えます。
4年前の今日、私の心も大きく揺れました。
私はいったいどうしたらよいのか。
どう生きていくのか。

答えなどみつからないのは分かっていますが、
少しずつ自分の心に従って行動しはじめたことは確かです。
今日は最後にこの言葉を。


 強くなければ生きていけない、
 優しくなければ生きていく資格がない




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